履歴表

番号 DE10 39号機

製造所 汽車製造大阪工場

製造番号 第3347号

製造区分 昭和42年度第3次予算車

仕様 A寒地仕様

1.車歴

昭和43年9月20日 国鉄新潟支社 東新潟機関区新製配置

昭和44年3月31日現在 東新潟機関区配置

昭和45年3月31日現在 東新潟機関区配置

昭和45年8月15日 新潟鉄道管理局 東新潟機関区配置(組織改正のため)

昭和46年3月31日現在 東新潟機関区配置

昭和47年3月31日現在 東新潟機関区配置

昭和48年3月31日現在 東新潟機関区配置

昭和49年3月31日現在 東新潟機関区配置

昭和49年12月26日 仙台鉄道管理局 会津若松機関区配置

昭和50年3月31日現在 郡山機関区配置

昭和51年3月31日現在 郡山機関区配置

昭和52年3月31日現在 郡山機関区配置

昭和53年3月31日現在 郡山機関区配置

昭和54年3月31日現在 郡山機関区配置

昭和55年3月31日現在 郡山機関区配置

昭和56年3月31日現在 郡山機関区配置

昭和57年3月31日現在 郡山機関区配置

昭和58年3月31日現在 郡山機関区配置

昭和59年3月31日現在 郡山機関区配置

昭和60年3月31日現在 郡山機関区配置

昭和61年3月31日現在 郡山機関区配置

昭和61年5月22日 廃車、郡山機関区

2.改造・その他

雪による破損対策として前面窓ガラスに会津若松型プロテクタを装備していた。前面エプロンの標識灯にもプロテクタを装備していた。

宮城県仙台市若林区木下にあったJR東日本仙台研修センターで教習用教材として保存されていたが、現在は聖和学園高等学校薬師堂キャンパスとなっているため、研修センター移転の際に解体処分されたと推測される。

タブレットキャッチャー本体は撤去済み、保護ゴム板は残っている。

保安装置はJRへ継承されなかったため、ATS-S型のままである。

 

 

 

Copyright(C)1995-2022 Team DE10. All rights reserved.